小林監督インタビュー
モントリオール映画祭が分断?幕末なのにプリクラ? 『合葬』小林達夫監督独占インタビュー
タイトルがなんのこっちゃですが、普通に監督のインタビューです。
ちょいちょいネタバレ入っているので、未見の方は鑑賞後に読んだ方がよいかもです。
監督の解説っていうことはある種、「ファイナルアンサー」でもあるので、
興味深かったです。
一番、へぇ~と思ったのは
「柾之助の『見る人』としての役割を意識づけたかったという意図もあります。雨を見る人・格子から見る人としての柾之助の世界に対する接し方ですね」
という部分。そういうことだったのかー。
そしてその後の
「その後、映画の後半で起こることと同じ音を付けているのですが、序盤の柾之助にとってはその時代の胎動が、虫の音のように耳障りなものにしか聞こえていないんです」
ここも次観る時あったら注意してみてみよう…。
そして、私が「なんでこのシーン必要だったのかなぁ」と未だ解釈を考え中だったシーンを
「戦争の前日の出来事ですよね。食事から夜の(戦の)準備までの一日を描いたシーンなんですけど、かなり急に攻めこまれたなって思うんです。確かに、色んな予感とかはあったと思うんですよ。仕事が徐々に減ってったりとか、薩長とのぶつかりが激しくなってたりとか…。そういう予感が募る中で、柾之助がキレたんです。きっと、極たちの殺伐とした空気が、一つの緊張状態を生み出していたんでしょうね」
と解説していて、あ、そういうことだったのかーと。
そしてこれまた賛否両論のラストについても
「たくさんの人が犠牲になり、時代が変わった…という物の見方が、そこに生き残った女性の見た『終わりの風景』だという気持ちで撮りました。時代の変わり目に、何が犠牲になって、残った人たちがどう見てたかというのが、作品の根底にあるんです。男たちが死んでいく中で、女性をはじめ生き残った人間が『時代が変わっていくさま』を捉えた様子を見せたかったし、クローズドな空間にいた登場人物たちの周縁にいたであろう大人の存在に、最後にフッと触れたかったんです」
とのことなんですが、うーむ、これを聞いてもよくわからない…^^;
個人的には、ここはもうシンプルに、家は捨てても、極も彼女のことは思っていたんだ、
と思えるシーンで、それはそれで救われた気がしてます。
タイトルがなんのこっちゃですが、普通に監督のインタビューです。
ちょいちょいネタバレ入っているので、未見の方は鑑賞後に読んだ方がよいかもです。
監督の解説っていうことはある種、「ファイナルアンサー」でもあるので、
興味深かったです。
一番、へぇ~と思ったのは
「柾之助の『見る人』としての役割を意識づけたかったという意図もあります。雨を見る人・格子から見る人としての柾之助の世界に対する接し方ですね」
という部分。そういうことだったのかー。
そしてその後の
「その後、映画の後半で起こることと同じ音を付けているのですが、序盤の柾之助にとってはその時代の胎動が、虫の音のように耳障りなものにしか聞こえていないんです」
ここも次観る時あったら注意してみてみよう…。
そして、私が「なんでこのシーン必要だったのかなぁ」と未だ解釈を考え中だったシーンを
「戦争の前日の出来事ですよね。食事から夜の(戦の)準備までの一日を描いたシーンなんですけど、かなり急に攻めこまれたなって思うんです。確かに、色んな予感とかはあったと思うんですよ。仕事が徐々に減ってったりとか、薩長とのぶつかりが激しくなってたりとか…。そういう予感が募る中で、柾之助がキレたんです。きっと、極たちの殺伐とした空気が、一つの緊張状態を生み出していたんでしょうね」
と解説していて、あ、そういうことだったのかーと。
そしてこれまた賛否両論のラストについても
「たくさんの人が犠牲になり、時代が変わった…という物の見方が、そこに生き残った女性の見た『終わりの風景』だという気持ちで撮りました。時代の変わり目に、何が犠牲になって、残った人たちがどう見てたかというのが、作品の根底にあるんです。男たちが死んでいく中で、女性をはじめ生き残った人間が『時代が変わっていくさま』を捉えた様子を見せたかったし、クローズドな空間にいた登場人物たちの周縁にいたであろう大人の存在に、最後にフッと触れたかったんです」
とのことなんですが、うーむ、これを聞いてもよくわからない…^^;
個人的には、ここはもうシンプルに、家は捨てても、極も彼女のことは思っていたんだ、
と思えるシーンで、それはそれで救われた気がしてます。