柳楽優弥ファンブログ「ジェットコースターにのって」

柳楽優弥くんズキ。2021年Works「浅草キッド」「太陽の子」「ターコイズの空の下で」「HOKUSAI」「二月の勝者」CM:JRA

蜷川先生お悔やみ申し上げます(蜷川先生と柳楽くんの回顧録)

テンション振り切るニュースの後のまさかの訃報でした。

いえ、正確に言えば、ここ数年の痩せたお身体を見たら
誰しも、あぁ、近づいてきているんだなとは思っていたと思います。
でも、なぜか。
なぜか、車いす乗っていても、鼻にチューブが通っても、また入院と聞いても、
後もう少し、もう少しと思ってしまう自分もいました。
事実、どんどん先の公演も決まってましたし。

でもとうとうその日が来てしまったんですね。

柳楽くんが演技のお仕事がなかなかできないでいた時
(それは柳楽くんが演技のお仕事に自信がもてなかった時期でもあるのですが)、
私が密かに思っていたのは「蜷川さんの舞台をやれば何か変わるかも」という
ことでした。

でも、あの当時の状況ではそんなこと口にするのもはばかれるぐらい、
自分の中では遠い人だったので、本当にお仕事がきた時は
心臓飛び出るぐらい驚いたのを今でも覚えてます。

当時のブログ記事

海辺のカフカ」はそれはそれは綺麗で、綺麗で、綺麗で、
その分悲しみと残酷さもあって、
大好きな大好きな舞台でした。
最初のガラスボックスに収まったカフカの登場シーン。
最後の雨のシーン。
私の中で今もエンドレスで再生される大切なシーンです。

柳楽くんのカフカが実現したこと、
柳楽くんが蜷川さんの演技指導と舞台経験を通して、少し自信をつけたこと、
感謝してもしてもしきれないです、本当に。

当時、「あ、さすが蜷川さん、きっと全部わかってくれてる」って
思ったのは、当時の雑誌で
「演劇は初めてだから、彼は丁寧に扱っていかなきゃと思ってます」
と言ってくれたこと。
多分、蜷川さんにしてはお怒りバロメータを100にはせずに
(つまり当時の柳楽くんが心を折れない程度に)、
「ちょうどよい加減」で怒ってくれたんじゃないかと思うんです。

その結果、カフカ後のインタビューで柳楽くんは舞台について、
「想像以上に楽しかったし、演技というもののフィールドがすごく広がった気がします。
広がりすぎて、先が見えないくらいに(笑)。」

と語ってくれました。

ありがとうございます。
ありがとうございました。

柳楽くんの復活には、あのタイミングで、蜷川先生で、カフカでなければ
ならなかったんだと今改めて強く思います。

そして、ここからは私の妄想でしかないのですが、
そこを経て、さらにその後成長した柳楽くんともう一度やりたいと
思ってくれたんじゃないかなと思います。

NINAGAWAマクベス、呼んでいただいて本当にうれしかったです。
蜷川さん自身も恐らく、ある程度人生のゴールが見えていた中、
残りの限られた共演者として、もう一度選んでいただいたと
思うと、本当に貴重な機会をいただけたと思いました。

多分、この時はもう演技にも、役者を続けることにも自信をもった
柳楽くんをみて、ちゃんと容赦なく演技指導したんじゃないかなと
いう想像をしています。

事実、カフカ少年とは全く違う勇ましい青年を観ることができました。

間に合ってよかった…。
本当に間に合ってよかった。

きっと、柳楽くんの中で、蜷川先生に二度教わったことはしっかりと根付いている。

そしてそれは柳楽くんだけじゃなくて。
今まで蜷川先生とご一緒した役者さんはきっと1人1人が蜷川先生に
教わったことを刻んで、役者人生を生きてるし、これからも生き続ける。

それは素敵なことですよね。

蜷川さん、今まで本当にありがとうございました。
ずっとずっとお仕事を続けていて忙しい毎日だったと思うので、ゆっくりお休みください。