柳楽優弥ファンブログ「ジェットコースターにのって」

柳楽優弥くんズキ。2021年Works「浅草キッド」「太陽の子」「ターコイズの空の下で」「HOKUSAI」「二月の勝者」CM:JRA

ロカルノ国際映画祭関連ニュース(ヘタ和訳)

前回の記事をまとめきれないうちに受賞ニュース!
おめでとうございます!!

その前にまずはそれ以前のロカルノ公式FBの動画紹介
私普段FB使わないのでいまいちわかってないかもしれないですが、
この動画はもしかしたらFBのアカウントがないとみられないかもしれません。
いつもの「サイトに埋め込む」的なものが見当たらないので。
スーツを両肩にかけてるだけで、その下にたぶんアロハシャツ着てる?
かなり若手マフィアな出で立ちwww
でもそれがかっこいい…!ただしい海外仕様…!

次は英語記事。
Films of the Week: Locarno Sex Romp Edition!
以下めっちゃ意訳です。
よくわからないところもあったので間違ってたら教えてくださいませ…。

ロカルノで最も常軌を逸しているこの2本の日本映画の発見が喜びだった。」
として、ディスベビと風に濡れた女をほめてくれています。
で、上半分は風に濡れた女の批評なので飛ばしましてディスベビ部分。
---------------------------------------------------------------------------------------- 同じ傾向はディストラクション・ベイビーズでの心底並外れた男性的暴力に当てはまる。
ハーモニーコリンの「Fight Harm(無作為にケンカを仕掛けてまわり、その様子を撮る
映画らしいです。ケガさせすぎてお蔵入りになったっぽい…)」を思わせた。
事実、この映画は真利子監督が松山滞在中に聞いた本当の出来事を基にしている。
また、松山市のケンカ神輿祭りにもインスピレーションを得ている。
のどかな景色と激しい暴力がミックスされているところに魅了されたと
監督は言う。昨今の厳しい時代、表面的には静かで潜在的には怒りを抱えている
日本の国の状態を批評していると考えられるだろう。

さびれた港町で、私たちが最初に目にするのは18歳の泰良(多少年上にみえる柳楽優弥)←外国の人が見てもそうなのねw
が地元の不良に袋叩きにあうところだ。痛い目に合うのは泰良にとって喜びであり、
映画は泰良が近くの都市に向かい、残飯をあさり、すぐに誰彼かまわずケンカをする
様子を追う。泰良はいつも殴られ、血まみれになって放っておかれ、不穏な狂気をはらみ
にやりと笑っている。だが、彼は必ず立ち上がり、ますます圧倒的な力となっていく。

物語は意外な展開となり、泰良は裕也(菅田将暉)を弟子にする。
裕也は単に男性エネルギーの放出に傾倒しているだけのようにみえる。←訳自信なしw
結局、若いクラブホステスであり、万引き常習者であるナナ(近日公開予定の
マーティンスコセッシ監督「沈黙」にも出演)がこの2人により誘拐され、
逃走劇となっていく。最終的には彼女が観客をたじろがせるような暴力行為をやり通すので
安心してください。←ナナの暴力行為を安心してください?ここも訳自信なしw

ディストラクション・ベイビーズはとても不思議な映画である。
すべてのヒントから判断すると、スクリーンでケンカ神輿祭りが盛り上がっていく中で、
すべては黙示録のような結末に向かっているように見える。

この映画は、日本版ファイトクラブと分類される運命にあるのは間違いないだろう。
デヴィッドフィンチャー監督の映画に幾度か同意していると仮定する必要があるが。←ここも自信なし
しかし、私はまた、主人公が体と心を物質的実在的変化に放り込んだ塚本晋也監督の「鉄男」も思い出した。暴力の純粋な執拗さは、期待している以上に微妙に変調しドラマティックだが、
魅了すると同時に、疲労もさせる。神秘的な雰囲気を醸し出す助けをしているのは、是枝監督の「誰も知らない」で14歳の時にカンヌで受賞した柳楽のまったく無駄のない演技である。
ここでは、彼はマーロンブランドか鈴木清順監督の「殺しの烙印」でサングラスをかけた
ヒーローの宍戸錠かとでもいうような粗暴なかっこよさがあり、恐ろしい目をした未知のものとして存在している。

ネット上でこの事件が拡散される様子が文字としてスクリーンを埋めるように
流行りのテーマは終わりに向けて類型的な解釈を吹き飛ばし、バラバラにする。
しかし大部分で、真利子監督はスクリーン上の興奮状態をコントロールした爆発
と思えるものを作っていた。←ここも訳自信なし・・・
ディストラクション・ベイビーズ」は熱狂的で、残忍で、なぜか精神浄化作用がある。
真利子監督は巻き込まれるがまま居心地の悪さを私たちに感じてほしいと思っているに違いない。
なぜなら、--神経質なくすくす笑いなどすべてを--あなたはやってしまうから。
間違いなく。
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うっかり和訳しなければよかった…めっちゃ時間かかる割に誤訳もありそうなものに
なってしまったorz
批評文って、単に訳すだけじゃなくて、いろいろな知識も必要なのね…と当たり前のことに
今更気づきました(遠い目)。
ニュアンスで受け取ってください…。
なんで訳したかというと太字部分で柳楽くんがほめられていたからなんですけどね^^;

で、最後にスイスインフォのサイトから。
ロカルノ映画祭、真利子監督の「ディストラクション・ベイビーズ」、暴力の存在とその多様性を伝える
監督は、「結局、こうした暴力のすべての側面を描きたかったのだ」と言う。「(強そうな男に襲い掛かる)泰良だけでなく、(泰良の仲間で女性だけをなぐる)裕也のような違う暴力もある。また、スマホで撮影してそれを流すことで生まれる社会の暴力というものもある。この社会の暴力という圧力によって弟が追い詰められている。なんかそういうものが世の中にはあるということを描きたかった」と言う。

 「そして、そうした暴力が世の中にはないと否定するよりも、あるのだから、しかもすぐ身近にあるのだから、それを映画の中でちゃんと描いて、お客さんに届けられれば、なんか議論が起こるのではないか。そしてそういうことが大事かなと思った」。「一番こわいのは、無関心で『世の中には暴力があるが、自分とは関係ない』と思うことだ」
(略)
ところで、映画の中で泰良は、ほぼしゃべらずけんかだけをする。そのことを監督は、「泰良の代わりに『泰良とは何か?』ということを周りが決めていく。でも、それはどれも間違っているということを言いたかった」と説明する。

 つまりは、一般にある事件が起きたときに原因を探して「彼はこうだからこの事件を起こした」ということで、ニュースを終わらせることが一番怖いという。「当事者は、その人なりに考えてやっているので、それを第三者が決めつけることはできない」

監督のインタビューで一番まとまっているように思いました。
それだけ監督の中でも、この映画が言葉になってきているのかもしれないですね。

で、なるほど。そうだとすると、私がネタバレ感想に書いたような「だからこんなに
ケンカ好きになった」という解釈も間違ってるってことなのかなー。
でもまぁ、考えるということが重要ってことなのでいっか!←

ここまでが受賞前の記事です。