柳楽優弥ファンブログ「ジェットコースターにのって」

柳楽優弥くんズキ。2021年Works「浅草キッド」「太陽の子」「ターコイズの空の下で」「HOKUSAI」「二月の勝者」CM:JRA

ネタバレあり感想

今日で3回観たので、ネタバレあり編公開します。ネタバレ全開です。

とはいえ、以前の2作はソフト化がのぞめなかったので、思い出せるだけ
ストーリーや演出も書き起こしましたが、今回はソフト化の希望があるので、
細かいところまでは追わないでおきます。(どうかどうかソフト化を…!)

ネタバレ感想コメントに書いたものも改めて入れ込んだりしているので、
もう読んだよ…みたいなくだりもあると思いますが、ご了承ください。



開演前の舞台は巨大な仏壇を模したような作り。
正面は薄く透ける障子でしまっていますが、向こうはまだ暗闇です。
さらにその手前には黒い扉。

鐘の音と共に舞台は始まるのですが、両脇から老婆が階段をおっちらせと
のぼってきて、手を合わせてからその黒い扉を開くとお話が始まります。
まるで絵本の表紙をめくるように。

この時に流れるのが声明(しょうみょう)、そしてそこに乗せるように始まるクラシック!
(調べたところフォーレの「レクイエム」第3曲のようです)

もうこの時点でぞくぞくするんです。
読経とクラシックがびっくりするぐらい融合していて、
それがそのままこのNINAGAWAマクベスを暗示しているかのようでした。

その音楽にのせて、障子の向こうが明るくなります。
ここから、演出で「薄い障子の向こう」で展開される時と、
この障子も取り払って普通に舞台上で展開される時と
2つが大きな違いになってきます。

これもまた素晴らしくて。

舞台の醍醐味って「1か所で時や場所を表現する」ことだと思ってるんですね。
テレビや映画のように「病院のシーンだから病院行こう」ってなことはできないので、
その場でいかに場面転換するのが演出家のセンスだと思うのです。

で、今回。
障子の向こうで展開することで、距離感だったり、非現実感だったり、
実際の「扉」として使われたり、時間と時空が変幻自在するのです。
カフカ金閣寺の時のような大きな場面展開というのは少な目なのですが、
少ないものでどうやって変化をつけるか、というところで改めて蜷川さんの
センスに脱帽しました。

そして、桜。
障子の向こうでひらひらと舞い散る桜は幻想的で妖しいほど美しくて。
マクベスが甘い言葉に殺めてしまうことを象徴しているかのようでした。
舞台装置が単なる「説明」だけでなく、絵としてとても美しいのです。

冒頭の魔女。雷鳴の中で大麻(おおぬさ)をもって、歌舞伎調に語り始めます。
なるほど、そうきたか!と。
日本には「魔女」という概念自体がないですが、時代劇の世界の中に
歌舞伎の世界を置くことで、妖しい巫女として違和感なく受け入れられるようになっていました。

魔女の意味深なセリフがおわると、柳楽マルカムの登場となります。
この時は舞台中央にバンカン王がいて、その脇で立ってセリフを言うのですが、
このセリフが毎回聞き取りづらかった気がします。
ここ以外はとってもよく聞こえるので不思議…。
それはさておき。
もう立ち姿が!!!
兜もかぶっていて、こうも武将が似合うとは!ですよ。
明らかに「王子」なんですよ!

瑳川さんのバンカン王も出番が少ないながら、さすがの存在感でした。

バンカン王が何か言う度にマルカムが弟のドナルベーンと微笑んで頷くので、
兄弟仲がいいんだなぁというのが、この時点でもうわかります。

この後にいよいよマクベス、バンクォーの登場。
バンクォーの橋本さんの声が心地いいこと!
1幕で出番が終わってしまうのはもったいないくらいです。

お告げのシーンが終わると、もう一度、バンカン王のシーンになるのですが、
こちらはもう兜を脱いでいます。
こちらはより若々しい凛々しさ!

その後に登場するのが、マクベス夫人。
もう田中裕子さんの声の通りも素晴らしくて。
声を張っている感じは全然ないのに、聞き取りやすい。
しかも間近で見ていると、表情から「完全に入ってるな」ってわかるんです。
田中裕子が微塵も残っていない。
無垢と狂気と色気を絶妙なバランスで演じていて素晴らしかったです。

あ、演出で1点だけ理解できなかったのは、その登場時にマクベス夫人にチェロを
弾かせていることです。どういう意図だったのかなぁ…と見る度気になってました。

ここから、マクベスマクベス夫人のたくらみが始まるのですが、
彼らがはおっている着物が翻る度に、舞い散っている桜がふわっとまた舞い上がるのです。
これがまた美しくて妖しくて。

動く演出と言えば、出演者が舞台から観客席に降りたり、
逆に観客席から舞台にあがったりという演出が何回か出てきます。
マルカムは合計3回上り下りがありました。
カフカ金閣寺でもあったので、舞台ではよくあることだと思うのですが、
今回は特に時代モノということと、老婆が開けて始まる向こうの物語ということもあって
「あちら側」と「こちら側」がちょっと距離がある感じがある分、
この縦の動きがあることで、「こちら側」に入ってくる感じがあって、
非常に不思議な感覚になりました。

そして中盤。マルカムとマクダフのシーン。
私、原作読んだ時のマルカムのイメージって、もうちょっと余裕があって
頭の良さからマクダフを試しているイメージがあったんです。
でも、ここでのマルカムは、ものすごくギリギリのところを生きていて、
人を信じたいのに信じる状況にない、追い詰められているマルカムでした。
それを観て、「あ、マルカムってそういう人か!」とすごく腑に落ちました。

そうして、ようやく真に信頼できる仲間を見つけた時に流す涙。
初日に観た時には、それはそれは綺麗な涙がすーーっと流れて胸に迫りました。

そうして、マクベスに戦いを挑むことになるのですが、
予言の「バーナムの森」は桜の森となり、大きな桜の元に1人1人が
手にした桜の枝が集まって、それはそれは壮麗な花絵巻でした。
障子が枠の役目になって1つの絵に見えるんですよね。
ここは観る度に目を奪われました。

そしていざ戦いの時。
殺陣が始まります。
舞台上も他役者さんが割と年齢が上の方が多かったためか、
動き自体は俊敏に見えてよかったと思います。
ただ、もっとやりこめばもっと出来るとも思ってます。
この辺は経験値かなと。

さて、ここまで触れずにいた市村さんと鋼太郎さんですが。
今回、色々な人の感想を読んで、人によって誰が聞き取りやすいかが
バラバラだったのがすごく興味深かったんですよね。
で、人によって相性のよい周波数があるのかな…というあほっぽい結論に
なってるのですが、私の場合はこの2人がちょっと聞き取りにくかったです。
ただ、それはささいなことと思うぐらい、演技としての深みがあった。
どちらも家族の死に直面したうえで、最後対峙するのですが、
死を知った時も、その死を背負って対峙していた時も、
その重さと本人の嘆き悲しみがキリキリするように伝わってきて、さすがだなぁ…と思いました。

特に鋼太郎さんと田中裕子さんは、観る度にキャラクターに深みが
増していました。細かい表現が変わってくるんです。
集中力切らさないどころか、よりいいものにするという役者魂を感じました。

それと、演出。
殺陣のシーンでは一切刀が触れ合う音を入れていないのです。
なので、一瞬迫力が足りない?と思いがちなのですが、
マクダフとマクベスの一騎打ちの時。
最後の一撃で初めて剣の振り下ろす音がつくのです。
そして背景にあった赤い月が一瞬で青い月に。
この一撃にインパクトをつけるために、それまでは音を付けてないのだと思います。
ここがまた本当に美しく残酷で素晴らしい…!

最後はマクダフがマクベスの首を観客席から舞台上にあがって持ち込み、
マルカムのセリフで終わります。
ここ、私はてっきりマルカムが朗朗と光の中で高らかに宣言するというカタルシスのある
クライマックスになると思っていたのですが、逆に話している最中に暗転して障子が閉められ、
老婆がまた黒い扉も閉める…というフェードアウト方式になっていました。

それは、マルカム側の視点ではなく、あくまでマクベス側の視点の話なので、
最後は「マルカムの勝利宣言」ではなく、「マクベス敗北の時」という解釈なのかなと
思いました。

BGMは他もクラシックで、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」やブラームスの「弦楽六重奏曲第2番」が使われていたとのことで、和装でクラシックという組み合わせも違和感がなく、
あぁ、これがまさに「新しい時代劇」なのかもしれないと思いました。

その「新しい時代劇」が35年も前に演じられていたという衝撃。

それを今観られたという幸福。

とにかく1回目はエネルギーを全部吸い取られたような感じで足ががくがくするほどでした。
2回目以降にようやく舞台自体の美しさ、演出の美しさを楽しめました。

蜷川さん、このタイミングで再演していただきありがとうございます。
柳楽くんをマルカムに、と思ってくれてありがとうございます。

こういうものを見せられてしまうと、蜷川さんにはまだまだお元気でいてもらわないと、と
思います。
どうかどうかお元気でいてください。