プロモーション動画公開
こちらも着々と進んでいますね。
『CITY』プロモーション映像
マームとジプシーの舞台は『BOAT』しか観たことがないのですが、
なんとなく白い衣装+ファンタジーなイメージがあるので、
今回のこのタイトル、設定、ビジュアルは意外だし、わくわくします。
で、本当は時間とって語りたかったのがこれ!
藤田貴大インタビュー「書を捨てよ町へ出よう」パリ公演を終えて
――パリ公演のとき、藤田さんの楽屋には蜷川幸雄さんの写真が置かれてました。あれはずっと持ち歩いてたんですか?
藤田 そうですね。『書を捨てよ町へ出よう』のツアーで初めて持ち歩いてたんですけど、蜷川さんのことばっか考えてたんです。蜷川さんはアングラに対するコンプレックスや、憧れが強かったような気がするから、この写真を見たらそのことを思い出すかなって。
藤田さんにとっては、今でも蜷川さんの存在は色々な意味で大きいんですね。
なんとなくインタビュー全体から、今藤田さんが過渡期であり、転換期なのかなということが
伝わってきました。
現実の方は現実感がなくて、逆に舞台はクライマックスなんていらない、「生活」になっていると。
一方で「世界は変えられない」っていう結論になっているようですが、
そんなことはないんじゃないかなぁって思ったりします。
300人いたら300人全員を変えようと思うと無理だけど、300人のうち1人が
変わるだけでもすごいと思うし、1人が変わったら世界は変わると思う。
それができるのが芸術なんじゃないかなぁって思います。
でも、「劇場に来ないような人たちをどう変えるのか」みたいな視点は
面白いなとも思います。
全体的に考え方が「こじらせ系」だなぁと思うんですが、
嫌な意味ではなくて、他の人とちょっと視点ずらしてるからこそ
あの独特な世界観ができあがるんだな、というのがちょっとわかった気がしました。
さて、最後の方はCITYについても。
――今年の5月には、『BOAT』以来の新作となる『CITY』が上演されます。まず、「CITY」というタイトルを選んだ理由から伺えますか?
藤田 タイトルは結構悩んだんですよね。海外公演に出かけると、いつも空港のおもちゃ売り場に行くんですけど、LEGOを売っている空港があったんです。前々から「いつかLEGOを始めたい」と話していたんだけど、僕らの世代だと「お城シリーズ」とか「街シリーズ」ってあったじゃないですか。その「街シリーズ」が今は「CITY」っていうタイトルになってるんです。それを見たときに、「TOWNじゃなくてCITYなんだ?」と思ったんですけど、それと同時に「広い意味でのCITYっていう言葉は考え甲斐があるんじゃないか」と思ったんですよね。
TOWNじゃなくてCITY。
ここでこういう見方をするのが、やっぱり面白いー!
――藤田さんはある時期までは故郷の伊達という町をモチーフに作品を描いてきましたよね。ここ最近の新作でも、都会というよりは片田舎のような場所が舞台になってきたように思います。その藤田さんが『CITY』というタイトルで作品をつくろうと思ったのはなぜですか?
藤田 僕が『sheep sleep sharp』や『BOAT』で描いてきた世界は、おとぎ話のように牧歌的な質感のある世界だったと思うんです。おとぎ話って、たとえば飢餓があった時代の話から『ヘンゼルとグレーテル』が生まれたわけですよね。それと同じように、おとぎ話っておとぎ話であるがゆえに、いろんなことに繋がりやすいと思うんです。人は「これって実は政権批判だよね」みたいな話が好きだけど、そういう語り方じゃなくて、もうちょっと直接的に、ほんとうにこの町で起こっていることを描けないかなと思っているんです。これは別に、おとぎ話を否定するってことじゃなくて、2019年の東京の町を舞台にしながらも、「そんなこと現実にはありえない」ってことを描いてもいい気がしてるんですよね。たとえば『CITY』には青柳いづみが出演しますけど、青柳はコンテナに積まれて輸入されると想像しているんですよ。
藤田 鎖とかでガチガチに縛られて輸入されて。しかもそれは人身売買とかじゃなくて、人体兵器なんですよ。それを描くとどこにも戻れなくなるようで怖いけど、それができたら面白いなと思うんですよね。ヒーローものってジャンルが許している構造ってあるじゃないですか。「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」みたいな問題を、キャラ化させることで描くことができる。僕なりにヒーローものってフォーマットを使うことで、現実的な東京を描いていくことが必要な気がしたんです。
ファンタジーでのメタファではなく、現実世界でメタファをやるってことですかね。
それともメタファすらやめるのかな。
――「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」というのは、この町に生きていてもみることができない部分ですよね。去年の春に『みえるわ』という作品を上演したとき、藤田さんはみえることとみえないことについて考えていたように思います。そのことについて、『CITY』であらためて考えることになるんじゃないかという気がします。
藤田 そうですね。極論を言うと、「誰かを救う」みたいなことって、現実世界では不可能だと思っていて。じゃあ何が可能にするかと言うと、やっぱり表現しかなくて、表現にしか手を伸ばせないことってあると思うんです。青臭いことを言うようだけど、ぼやかされていることや隠蔽されていることって、世の中にたくさんあるじゃないですか。それを問いただしても、口を閉ざしている人たちは口を閉ざしたままだから、それを乗り越えることができるのは表現しかないんじゃないかと思うんです。表現の中では理想郷みたいなことも描けちゃうから、現実的な人からは「ただの綺麗事だ」と跳ねのけられるかもしれないけど、表現の中に充満している想像力でしか現実と戦えないんじゃないか。そこに希望を抱いているし、そこに希望が持てないのであれば、僕は生きている意味がないと思うんですよね。自分の想像力がどこまで届くか、試していきたいと思っています。
ここを読むと、やっぱり藤田さんは「世界を変えられない」と思ってないような
気もします笑。表現の中で、戦って救って。その先はやっぱり「世界を変えたい」が
あるんじゃないかなぁと思います。
それを具現化するのが柳楽くん。
ファンの贔屓目もあると思いますが、柳楽くんが演じれば戦うことも、救うことも
表現を超えて「そこにある現実」として伝わる気がするんです。
藤田さんミーツ柳楽くん。
どんな化学反応が起こるのか。
この目で観るのが待ち遠しいです。
『CITY』プロモーション映像
マームとジプシーの舞台は『BOAT』しか観たことがないのですが、
なんとなく白い衣装+ファンタジーなイメージがあるので、
今回のこのタイトル、設定、ビジュアルは意外だし、わくわくします。
で、本当は時間とって語りたかったのがこれ!
藤田貴大インタビュー「書を捨てよ町へ出よう」パリ公演を終えて
――パリ公演のとき、藤田さんの楽屋には蜷川幸雄さんの写真が置かれてました。あれはずっと持ち歩いてたんですか?
藤田 そうですね。『書を捨てよ町へ出よう』のツアーで初めて持ち歩いてたんですけど、蜷川さんのことばっか考えてたんです。蜷川さんはアングラに対するコンプレックスや、憧れが強かったような気がするから、この写真を見たらそのことを思い出すかなって。
藤田さんにとっては、今でも蜷川さんの存在は色々な意味で大きいんですね。
なんとなくインタビュー全体から、今藤田さんが過渡期であり、転換期なのかなということが
伝わってきました。
現実の方は現実感がなくて、逆に舞台はクライマックスなんていらない、「生活」になっていると。
一方で「世界は変えられない」っていう結論になっているようですが、
そんなことはないんじゃないかなぁって思ったりします。
300人いたら300人全員を変えようと思うと無理だけど、300人のうち1人が
変わるだけでもすごいと思うし、1人が変わったら世界は変わると思う。
それができるのが芸術なんじゃないかなぁって思います。
でも、「劇場に来ないような人たちをどう変えるのか」みたいな視点は
面白いなとも思います。
全体的に考え方が「こじらせ系」だなぁと思うんですが、
嫌な意味ではなくて、他の人とちょっと視点ずらしてるからこそ
あの独特な世界観ができあがるんだな、というのがちょっとわかった気がしました。
さて、最後の方はCITYについても。
――今年の5月には、『BOAT』以来の新作となる『CITY』が上演されます。まず、「CITY」というタイトルを選んだ理由から伺えますか?
藤田 タイトルは結構悩んだんですよね。海外公演に出かけると、いつも空港のおもちゃ売り場に行くんですけど、LEGOを売っている空港があったんです。前々から「いつかLEGOを始めたい」と話していたんだけど、僕らの世代だと「お城シリーズ」とか「街シリーズ」ってあったじゃないですか。その「街シリーズ」が今は「CITY」っていうタイトルになってるんです。それを見たときに、「TOWNじゃなくてCITYなんだ?」と思ったんですけど、それと同時に「広い意味でのCITYっていう言葉は考え甲斐があるんじゃないか」と思ったんですよね。
TOWNじゃなくてCITY。
ここでこういう見方をするのが、やっぱり面白いー!
――藤田さんはある時期までは故郷の伊達という町をモチーフに作品を描いてきましたよね。ここ最近の新作でも、都会というよりは片田舎のような場所が舞台になってきたように思います。その藤田さんが『CITY』というタイトルで作品をつくろうと思ったのはなぜですか?
藤田 僕が『sheep sleep sharp』や『BOAT』で描いてきた世界は、おとぎ話のように牧歌的な質感のある世界だったと思うんです。おとぎ話って、たとえば飢餓があった時代の話から『ヘンゼルとグレーテル』が生まれたわけですよね。それと同じように、おとぎ話っておとぎ話であるがゆえに、いろんなことに繋がりやすいと思うんです。人は「これって実は政権批判だよね」みたいな話が好きだけど、そういう語り方じゃなくて、もうちょっと直接的に、ほんとうにこの町で起こっていることを描けないかなと思っているんです。これは別に、おとぎ話を否定するってことじゃなくて、2019年の東京の町を舞台にしながらも、「そんなこと現実にはありえない」ってことを描いてもいい気がしてるんですよね。たとえば『CITY』には青柳いづみが出演しますけど、青柳はコンテナに積まれて輸入されると想像しているんですよ。
藤田 鎖とかでガチガチに縛られて輸入されて。しかもそれは人身売買とかじゃなくて、人体兵器なんですよ。それを描くとどこにも戻れなくなるようで怖いけど、それができたら面白いなと思うんですよね。ヒーローものってジャンルが許している構造ってあるじゃないですか。「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」みたいな問題を、キャラ化させることで描くことができる。僕なりにヒーローものってフォーマットを使うことで、現実的な東京を描いていくことが必要な気がしたんです。
ファンタジーでのメタファではなく、現実世界でメタファをやるってことですかね。
それともメタファすらやめるのかな。
――「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」というのは、この町に生きていてもみることができない部分ですよね。去年の春に『みえるわ』という作品を上演したとき、藤田さんはみえることとみえないことについて考えていたように思います。そのことについて、『CITY』であらためて考えることになるんじゃないかという気がします。
藤田 そうですね。極論を言うと、「誰かを救う」みたいなことって、現実世界では不可能だと思っていて。じゃあ何が可能にするかと言うと、やっぱり表現しかなくて、表現にしか手を伸ばせないことってあると思うんです。青臭いことを言うようだけど、ぼやかされていることや隠蔽されていることって、世の中にたくさんあるじゃないですか。それを問いただしても、口を閉ざしている人たちは口を閉ざしたままだから、それを乗り越えることができるのは表現しかないんじゃないかと思うんです。表現の中では理想郷みたいなことも描けちゃうから、現実的な人からは「ただの綺麗事だ」と跳ねのけられるかもしれないけど、表現の中に充満している想像力でしか現実と戦えないんじゃないか。そこに希望を抱いているし、そこに希望が持てないのであれば、僕は生きている意味がないと思うんですよね。自分の想像力がどこまで届くか、試していきたいと思っています。
ここを読むと、やっぱり藤田さんは「世界を変えられない」と思ってないような
気もします笑。表現の中で、戦って救って。その先はやっぱり「世界を変えたい」が
あるんじゃないかなぁと思います。
それを具現化するのが柳楽くん。
ファンの贔屓目もあると思いますが、柳楽くんが演じれば戦うことも、救うことも
表現を超えて「そこにある現実」として伝わる気がするんです。
藤田さんミーツ柳楽くん。
どんな化学反応が起こるのか。
この目で観るのが待ち遠しいです。